書くことで一番大切なこと〜美味しい珈琲との共通点

中国・雲南・マイクロロット

「今、ウチのスタッフのイチオシは、こちらですね」

そのひと言が、決め手でした。お仕事の打ち合わせが終わり、帰り際に立ち寄ったカフェ。

イチオシと言われると、他のメニューより魅力的に聴こえてしまったためか、迷わず飲んだことの無い中国の珈琲をオーダーしました。

もともとは、日本のようにお茶の文化が根強い中国。その中で近年、急拡大したコーヒー市場はまだまだ新しい食文化とか。

スタッフさん達がイチオシという珈琲豆は、プーアル茶で有名な雲南省が産地でした。

標高2000m付近の地域にある農園で、高品質で環境負担の小さい農業を目指して栽培された、いわゆるスペシャルティコーヒーと呼ばれる物の一つ。

日本と中国の大学・企業の連携による共同プロジェクトとして始まった取り組みだそうです。

そんな紹介文を読み終え、ふと顔を上げると自分がオーダーした珈琲が、ちょうどハンドドリップで淹れてもらっている所でした。

挽き立ての珈琲豆が入ったドリッパーに向けて、コーヒーポットのお湯が5センチほどの高さから、ゆっくりと注がれていました。

コーヒーポットを持つ右手が一定のリズムで小さな弧を描くことで、注がれるお湯が透明な細い糸のように見えます。左手は適切なお湯の量を見るためか、光を遮るためにそっとドリッパーの上に翳されていました。

「ずいぶん繊細にコーヒーを淹れるんですね」

淹れたてのコーヒーを運んでくれた店長さんに感想を伝えると、

「わざわざお越しいただいていますし、ちゃんとしたお代も頂いていますから」

にっこり笑って、なにげない言葉が返ってきました。

さっそく淹れてもらったコーヒーをひと口飲むと、コーヒーらしい深い味わいに加えて、お茶のような華やかな香りと甘い後味が余韻に残りました。

苦みや渋みだけの、よくあるコーヒーとは全く違う。何か別の飲み物では?と思うほど独特の美味しさに驚くとともに、

「1日に、いったい何杯の珈琲をあんな風に淹れるのかな?」とも考えてしまいました。

珈琲を淹れる時も、肩の力がほどよく抜けたような立ち姿の店長さんでしたが、

その美味しさを味わいながら先ほどの言葉を思い返すと、間違いなく相当の集中力を使いそうな仕事です。

「この美味しさを落とさないよう、繊細な手仕事を毎日毎日繰り返すのか」

そう思った時、ふと『真摯さ』という言葉が浮かんできました。

「ウチの料理が美味しいか、美味しくないかはお客様が決めることですよ」

昔、レストランで何人かのシェフに全く同じ言葉を聞いた記憶がありました。

当時、料理をはじめ飲食業界にも知識がまだまだ乏しかった自分が、ひとつだけ気づいたのは、

「同じ言葉を言ったシェフのお店は、どこも『行きたいけど、なかなか予約が取れない』とクチコミされるレストランばかりだ」ということでした。

何の手抜かりも無い。最新の情報を集め、メニューも改良を重ねている。そんな姿勢で仕事に望んでも「美味しくない」「サービスが悪い」と評価されることも常にある。

それでもまた、向き合っていく。知恵を絞る。改善でも改良でも、他にできることは何か無いか?を探し続ける。

その姿を言葉にするなら、やはり『真摯さ』しか無いと思いました。

そして、仕事の一環として「書く」ということもまた、同じ部分があるように思います。

上手いか、下手か。面白いか、面白くないか。それを決めるのは書いた人ではなく、読んだ人です。

逆を言えば、「上手く書きたい」と思ったり、「上手く書けない」と悩むのは邪推であり、単なる雑念です。

※もし、ふと頭に浮かんだら、要注意です。邪推や雑念が膨らむほど、望まない感想や反響が返ってくるからです。(ほぼ確実に)

もっとも、自分自身に向けた日記や呟きは別かもしれません。ここでいう「書くこと」は自分以外の誰かに向けた文章です。

ビジネスメールやニュースレターであれ、またはレポートや記事、本の原稿を書く時などに、「ほぼ唯一できること」であり「一番大切なポイント」は、実は他のお仕事となんら変わりません。

自分に出来ることを、できるだけ、ていねいに行なう。

何度も見直す。時間が許す限り。

1日が終わったら、振り返る。できる工夫は他になかったか、考え続ける。そして、また始める。

何度も繰り返す。よりていねいに、何度でも。

ていねいな仕事や文章の舞台裏を見ると、誰も気に留めないような、地味な作業の繰り返しです。

正直に言うと、楽しさはほとんどありません。やり過ぎて頭が痛くなり、気持ち悪くなることの方がしばしばあります。

でも、そんなウンザリするほどの時間を重ねるうちに、ほんの一時だけ、たまにご褒美がやってくる時もあります。

「良かったよ」

「いいね!」

「ありがとうございます!」

全く想像していなかったタイミングで笑顔とともに頂く、短い言葉。それが、たまにあるから「またやってみようか」と思ってしまう。

ささやかなご褒美の瞬間が「ていねいさ」を続けたギフトに思えます。たぶん、それが溜まった経験が、やっている当の本人だけが味わえる「やり甲斐」になるから。

上手さより、ていねいさを大切に。

偶然出会えた、美味しい一杯の珈琲が大事なことを改めて思い出させてくれました。

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